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【第4話】「みんな」という名の誰もいない〜ターゲット設定の罠〜

イントロダクション
腕はいいが、優しすぎるシェフがいました。「辛いものが好きな人も、甘いものが好きな人も、薄味が好きな人も、みんなに喜んでほしい」。そう考えた彼は、スパイスを控え、砂糖も塩もほんの少しだけ入れた「万人が食べられるスープ」を作りました。
結果、そのスープは誰からも「まずい」とは言われませんでした。しかし、誰からも「最高に美味しい」と言われることもなく、誰の心にも残らない、ただの「無味なスープ」になってしまったのです。 これは、マーケティングの世界で私たちが陥りがちな、とても甘美で恐ろしい罠と全く同じ構造をしています。「私たちの商品は、誰に届けたいですか?」「もちろん、みんなです!」。この「みんな」という言葉こそ、優しさから生まれた、マーケティングにおける最大の死亡フラグかもしれません。
本記事のポイント
● 「みんな」を狙うと、誰にも響かない。 ターゲットを広げすぎると、コンセプトは陳腐化し、最大公約数的な当たり障りのない製品・サービスになりがちである。
● 解決策は「選択と集中」。 市場を細分化(セグメンテーション)し、最も価値を提供できる層を戦略的に選定(ターゲティング)することが、強い製品作りの第一歩となる。
● 「ペルソナ」がチームの羅針盤になる。 データに基づいた架空の人物像(ペルソナ)を具体的に描くことで、チーム内の顧客イメージが統一され、あらゆる意思決定のブレがなくなる。
解くべき課題:尖った企画が「丸い石」に変わる時
「できるだけ多くの顧客を対象としたい」という考えは、一見すると合理的です。しかし、この思いが強すぎると、コンセプトは陳腐化し、意思決定は迷走します。
実際に私たちのチームが、過去にあるライフイベントサービスのコンセプトを検討した際、まさにこの問題に直面しました。当初は「既存のサービスにはない、尖った価値を提供したい」と意気込んでいたものの、議論が進むにつれて「Aという層を取りこぼすべきではない」「Bというニーズにも応えたい」という意見が次々と出てきました。
議論の視点はいつしか「誰に価値を届けるか」から「誰を仲間外れにしないか」へとすり替わり、尖っていた企画の角はどんどん削られていきました。最終的に手元に残ったのは、どこにでもあるような、誰にも響かない、ただの「丸い石」でした。私たちは、「みんなを救いたい」という優しい罠に陥ってしまったのです。
解決へのアプローチ:「誰か一人」を熱狂させる、ペルソナの力
この「みんな」という名の亡霊を追い払うために、「シン・マーケティングプロセス」では、「セグメンテーション」「ターゲティング」と「ペルソナ作成」の3つのステップを設けています。考え方は、以下の通りです。
1.市場を分ける(セグメンテーション): まず市場にどんなタイプの顧客がいるのかを、年齢・性別・価値観・行動などの切り口で分類する。
2.狙いを定める(ターゲティング): 分類したグループの中から、自分たちの強みが最も活かせ、価値を提供できるグループを戦略的に一つ選び抜く。
3.人物像を描く(ペルソナ作成): そして、選んだグループを代表する、架空の、しかし超リアルな一人の人物像(ペルソナ)を描き出す。名前、年齢、職業、最近の悩みまで、チーム全員がその人物をありありと思い浮かべられるレベルまで作り込む。
なぜなら、「みんな」という漠然とした相手ではなく、「山田さん」というたった一人のために最高のサービスを考えることで、初めて強烈な熱量が生まれるからです。たった一人を深く考え抜いて作られたサービスは、その人を熱狂的なファンに変え、さらにはその人と同じような課題を抱える多くの人々にも伝播していくのです。絞ることは捨てることではありません。それは、メッセージの純度を極限まで高めるための、戦略的な「選択と集中」なのです。
プロジェクトでの実践録:「絞ると売上が減る」という恐怖との戦い
先のライフイベントサービスの議論が行き詰まった際、チームは自らのプロセスに立ち返りました。そして、「みんな」をターゲットにすることの弊害について改めて議論しました。
PdMとしての経験が豊富な清原からは、「理屈はわかるが、ターゲットを絞ると『その分、売上が減るのではないか』という経営層からの指摘にどう答えるかが常に課題になる」という、多くの組織人が抱える現実的なジレンマが提示されました。
これに対し、UXの専門家である皆川は、「優れたUXは“N=1”の熱狂から始まる。たった一人に『これは私のためのサービスだ』と思わせるほど深く刺されば、その熱は必ず周囲に伝播する」と、一点集中の重要性を力説しました。また、広告業界での経験を持つ稲本も、「専門性の強い分野の広報物を制作する際、ターゲットとなる一人のペルソナを徹底的に作り込んだ。そうすることで、届けたいメッセージのブレがなくなった」という実例を共有しました。
しかし、元経営コンサルの岡村は、「そのペルソナが我々の単なる妄想であってはならない」と釘を刺します。データ分析やユーザーインタビューに基づき、「なぜ、この人物をターゲットとするのか」という目的を明確化し、その目的に沿ったペルソナ活用でなければ、それはただの空想の友達になってしまうからです。 この多角的な議論を経て、チームは「絞ることへの恐怖」を乗り越えました。そして、漠然とした要望が書かれた付箋を一度すべて剥がし、データと知見に基づいた、たった一人のリアルなペルソナ像を描き始めたのです。その瞬間、止まっていた議論は、再び確かな熱量を持って動き出しました。
今回のまとめ
● 「みんな」はターゲットではない。 全員を満足させようとする製品・サービスは、結局誰の心にも深く響かない。勇気を持ってターゲットを絞り込むことが、強いコンセプトの第一歩です。
● データに基づいた「ペルソナ」を羅針盤にする。 チームで共有された一人のリアルな人物像は、あらゆる意思決定の場面で「この機能は、山田さんの課題解決に役立つか?」という明確な判断基準となります。
● 絞ることは「捨てる」ことではなく「集中する」こと。 限られたリソースを最も価値を提供できる顧客層に集中投下し、熱狂的なファンを作ることが、結果として市場全体への影響力に繋がります。
【次回予告】 第5話:“エモい”の正体〜顧客価値とコンセプトの言語化〜
ターゲットは定まった。我々が救うべきは、とある一人の「ペルソナ」だ。彼女に「ワクワクするような“エモい”体験」を届けたい!しかし、チーム内で新たな論争が勃発する。「そもそも、『ワクワク』とは、一体なんだ…?」。次回、フワッとした感情を、ビジネスに繋がる「価値」へと翻訳する技術に迫ります。

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